2017年2月8日水曜日

けものフレンズは我々を「霊長目ヒト科ヒト属ヒト」のフレンズにする

けものフレンズ、EDに廃墟が出てるとのことで気になってたのですが(廃墟好き)、ビデオパスで観れることに気づいたので観てみました。いや、まんまとハマりました。面白い。

観ててなんとなく思ったことを覚書程度に書いていきます。他の方のブログに書かれてることと似たような感想になるだろうけど、“ことふりたれど、同じこと、また今さらに言はじとにもあらず”(徒然草第19段)。

動物(=けもの)としてのヒトの強みを語っているのだというのは各所で言われている。

サーバルちゃんをはじめとした「アニマルガール」たちは、「動物のコスプレをした人間の女の子」にしか見えないのだけど、これは動物(=けもの)とヒトを同じ土俵に挙げるためのギミックとして機能している。

で、これはゲーム版の話だが、アニメ版でもコンセプトデザインとしてクレジットされている吉崎観音が


と言っている。ジャパリパークにはアニマルガールが一種一個体しかいないようだが、雄雌問わずその動物種固有の特徴を持ったまま、姿形は「人間の女の子」に標準化される。

で、スナネコちゃんとかは一人称が「僕」だった。もしかして彼女はもともとオスのスナネコだったのではないか。

ここで主人公のかばんちゃんのことなんだけど、かばんちゃんも一人称が「僕」なんですよね。

かばんちゃんは「けものとしての人間の特徴」を毎回紹介してくれているのだが、もしかしたら彼女は「霊長目ヒト科ヒト属ヒトのアニマルガール」なのではないか?

カバンを背負った探検家風の衣装、というのも、「ヒト」の特徴を衣装として表現したものではないかと思うのだ。


このように、背に持つカバンについての考察は見かけた。おそらくそのとおりだと思う。

探検家風の衣装については、ヒトが衣服や道具、火などを使用してエクメネ(生存可能域)を拡大してきたことが「ヒトという動物の特徴」として解釈されているからではなかろうか。

で、絶滅動物(野生絶滅を含む)のアニマルガールは瞳にハイライトがない(トキさんなど)のだが、かばんちゃんにはハイライトがあるので、パーク外には「動物化したヒト」が棲息しているんじゃないか? 文明が衰退し野生動物のようになってしまったので、サンドスターから「けもの」扱いをうけてジャパリパークにかばんちゃんが顕現することになったのではないだろうか。

1話2話でやたらサーバルちゃんに「食べないでください!」って言ってたのも、大型動物に狙われる被捕食者であった期間の長いヒト属のフレンズゆえだと考えることができる。

あとはトキさんとの初対面の際、歌の感想を聞かれたのに外見を褒めたこと。視覚を認識のメインとしている人類っぽさがある。

かばんちゃんが自分が何者なのかわからず放浪するのも、ヒトが「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を問い続ける存在であることを示しているのではないか? 人は考える葦である。数々の“哲学者”と呼ばれるヒトが「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」と頭を悩ませてきた。自己を見失い、思惟を巡らせるのもヒトの特徴なのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿