2017年2月25日土曜日

けものフレンズは生物の教材であり、かつ神話である。けものフレンズ7話「じ ゃぱりとしょかん」

かばんちゃんとサーバルちゃんは、迷路を抜けて図書館にたどり着き、文献を読み解いて火を手に入れ、食材を調理する。

生物の教材的側面

「陽が透き通って、綺麗だねえ」──バイオームと植物群系

しんりんちほーの森に入ったとき、かばんちゃんが言ったセリフだ。このセリフ、森が夏緑樹林であることを示すものではないかと思う。
『見つめる生物 ファーブルEYE』 p.189
画像左上。「夏緑樹は葉が薄いので,太陽の光で葉が透けて見える」。
動物の紹介に比べるとあまり注目されていない気がするのだが、けものフレンズが紹介しているのは動物だけではない。バイオーム(生物群系)の紹介をしている。バイオームとは一定地域に生活する動物や植物個体群の全てを指す。第1話ではサーバルちゃんがサバンナガイドをしてくれるが、シマウマやトムソンガゼルといった動物だけでなく、「サバンナにはところどころに木があるんだよ」といって、植生についても紹介してくれているのだ。第2話,第4話,第5話ではラッキービーストが熱帯雨林や砂漠、針葉樹林について説明してくれている。また、熱帯雨林ではかばんちゃんは「なんだか鬱蒼としてきたねえ」とさり気なく森の様子について言語化していた。
というわけで、やはり7話の「陽が透き通って、綺麗だねえ」というセリフも夏緑樹林という植物群系のさり気ない解説なのではないかと思うのだ。


迷路とその先にある食事──迷路実験

ゴールに食事(餌)がある迷路。動物の学習能力や記憶力を測定するための迷路実験である。とはいえ、食事という報酬は博士たちのものであり、かばんちゃん自身の報酬は自らに関する知識であるが。どちらにせよ、ゴールに報酬があり、報酬を得るために試行錯誤しながらゴールを目指すのは迷路実験的である。

火の使用と料理──火を使う唯一の動物、ヒト

ヒトは火を使い調理を行う唯一の動物である。火を怖がらないかばんちゃんと、怖がるサーバルちゃんたち。これについてはここで詳しく説明することもないと思うので、とりあえず初期のヒト属による火の利用 - Wikipediaあたりをどうぞ。
あとは、博士によるヒトの能力の説明も生物の教材的ですね。

神話的側面

「火はおいそれと渡せないのです」──火の獲得と出し惜しみするフクロウ

博士たちは火を手に入れてみせろとかばんちゃんを煽る。多くの人がプロメテウスの神話を思い出したようだ。この「火はおいそれと渡せないのです」というセリフや、「そうです、そこで火です!」「手に入れてみるのです」というセリフから、火の獲得の神話を意識しているのは明白であるように思う。
一方、火の獲得にフクロウが関わる神話も存在している。火の獲得の神話にはいくつかパターンがあり、鳥や虫や獣によって火が獲得されるタイプのものもある。フランスにはキクイタダキという鳥が神様から火を貰ってきて、人にもたらしたという神話がある。キクイタダキが持ち帰る途中、火が羽根に燃え移ってしまった。「それでもこの鳥は、地上まで火を運んできて、人びとはその火を手に入れた。だがそのときには、羽がすっかり焼けてしまって、一本も残っていなかった(『世界神話辞典』p.137)」。そこで鳥たちが集まってきてキクイタダキに羽を分け与えて羽衣を作り着せてやるのだが、フクロウだけは羽根を出し惜しんで与えなかったという。だからフクロウは他の鳥たちから目の敵にされており、夜にしか姿をみせないのだ、というオチで終わる。
出し惜しみするフクロウ。まさに今回のコノハ博士とミミちゃん助手である。

「合わないちほーでの暮らしは寿命を縮めるのです」──料理と死

ヒトは絶滅した、つまり、死んだ。フレンズにも寿命はある。「火と文化の起源を、死と性の起源と結びつけて物語ることも、世界中の多くの火の起源神話に共通して見られる(『世界神話辞典』p.132)」。
プロメテウスの神話でも、あるいはブラジル中央部のカヤポ=ゴロティレ族やアピナイェ族の神話(こちらにはジャガーが出てくる)などでも、火と調理が同時に登場し、人の死の起源も語られる。面倒なのでこれも詳しくはプロメーテウス - Wikipediaとかを参照してください。すこしだけWikipediaから引用すると、
ゼウスが人間と神を区別しようと考えた際、彼はその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。プロメーテウスは大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を食べられない皮で包み、もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しそうに見せた。そして彼はゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。プロメーテウスはゼウスが美味しそうに見える脂身に巻かれた骨を選び、人間の取り分が美味しくて栄養のある肉や内臓になるように計画していた。ゼウスは騙されて脂身に包まれた骨を選んでしまい、怒って人類から火を取り上げた。この時から人間は、肉や内臓のように死ねばすぐに腐ってなくなってしまう運命を持つようになった。
そう、「美味しいものを食べてこその、人生なのです!」。しかし、美味しいものを食べられる代わりにヒトは寿命が有限になったのである。

あとはまあ、図書館がリンゴなのも知恵の実的なので神話ですね。でも知恵の実を手に入れたって解釈すると次に来るストーリーが楽園追放になってしまうのであんまり考えたくないですねー。

その他あれこれ

4話でラッキービーストが「アトラクションが始まっちゃったから、出口から迎えに来たよ」って言うんだけど、恥ずかしながらその言葉の意味が今までわかってなかった。
あれは「(地下迷宮という)アトラクションが(ラッキービーストが付いて行く前に)始まっちゃっ(て、扉が閉まって入り口から入れなくなってしまった)から、出口から迎えに来たよ」って意味なんだよね?

あとラッキービーストはただの観光ガイドじゃなくて、パーク管理者の補助も行うロボットなんだということが7話で確定した。調理場の保守をしていたと博士が語ったからだ。

というようなことを6話放映直後にツイートしたのだが、あっていたようだ。

参考文献



2017年2月8日水曜日

けものフレンズは我々を「霊長目ヒト科ヒト属ヒト」のフレンズにする

けものフレンズ、EDに廃墟が出てるとのことで気になってたのですが(廃墟好き)、ビデオパスで観れることに気づいたので観てみました。いや、まんまとハマりました。面白い。

観ててなんとなく思ったことを覚書程度に書いていきます。他の方のブログに書かれてることと似たような感想になるだろうけど、“ことふりたれど、同じこと、また今さらに言はじとにもあらず”(徒然草第19段)。

動物(=けもの)としてのヒトの強みを語っているのだというのは各所で言われている。

サーバルちゃんをはじめとした「アニマルガール」たちは、「動物のコスプレをした人間の女の子」にしか見えないのだけど、これは動物(=けもの)とヒトを同じ土俵に挙げるためのギミックとして機能している。

で、これはゲーム版の話だが、アニメ版でもコンセプトデザインとしてクレジットされている吉崎観音が


と言っている。ジャパリパークにはアニマルガールが一種一個体しかいないようだが、雄雌問わずその動物種固有の特徴を持ったまま、姿形は「人間の女の子」に標準化される。

で、スナネコちゃんとかは一人称が「僕」だった。もしかして彼女はもともとオスのスナネコだったのではないか。

ここで主人公のかばんちゃんのことなんだけど、かばんちゃんも一人称が「僕」なんですよね。

かばんちゃんは「けものとしての人間の特徴」を毎回紹介してくれているのだが、もしかしたら彼女は「霊長目ヒト科ヒト属ヒトのアニマルガール」なのではないか?

カバンを背負った探検家風の衣装、というのも、「ヒト」の特徴を衣装として表現したものではないかと思うのだ。


このように、背に持つカバンについての考察は見かけた。おそらくそのとおりだと思う。

探検家風の衣装については、ヒトが衣服や道具、火などを使用してエクメネ(生存可能域)を拡大してきたことが「ヒトという動物の特徴」として解釈されているからではなかろうか。

で、絶滅動物(野生絶滅を含む)のアニマルガールは瞳にハイライトがない(トキさんなど)のだが、かばんちゃんにはハイライトがあるので、パーク外には「動物化したヒト」が棲息しているんじゃないか? 文明が衰退し野生動物のようになってしまったので、サンドスターから「けもの」扱いをうけてジャパリパークにかばんちゃんが顕現することになったのではないだろうか。

1話2話でやたらサーバルちゃんに「食べないでください!」って言ってたのも、大型動物に狙われる被捕食者であった期間の長いヒト属のフレンズゆえだと考えることができる。

あとはトキさんとの初対面の際、歌の感想を聞かれたのに外見を褒めたこと。視覚を認識のメインとしている人類っぽさがある。

かばんちゃんが自分が何者なのかわからず放浪するのも、ヒトが「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を問い続ける存在であることを示しているのではないか? 人は考える葦である。数々の“哲学者”と呼ばれるヒトが「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」と頭を悩ませてきた。自己を見失い、思惟を巡らせるのもヒトの特徴なのだ。