2018年1月22日月曜日

文部省『讀方入門』明治十七年

お久しぶりです。まほらです。

最近は言語学や英語史、日本語史やらにハマったりしていて、暇な時は主に本を読んでいたのでブログを書く暇があまりとれなかった。

で、日本語史を勉強するなかで、「変体仮名」を少し覚えようと思って『変体仮名とその覚え方』(板倉聖宣,2008,仮説社)を読んでみたのだが、ここに収録されている『読方入門』が非常に面白い。

『読方入門(讀方入門)』は、明治17年に文部省が発行した小学校低学年向けのテキストなのだが、ひらがなが正体・変体あわせて103個も収録されているという代物で、さらにこの頃はまだ旧仮名遣いが使われているため、「てうるゐ(=ちょうるい、鳥類)」などという表記が出てくる。本当に小学生に読ませる気があるのか? という気がしてくるが、明治初頭の日本語はそうなっていたのだ。

2017年2月25日土曜日

けものフレンズは生物の教材であり、かつ神話である。けものフレンズ7話「じ ゃぱりとしょかん」

かばんちゃんとサーバルちゃんは、迷路を抜けて図書館にたどり着き、文献を読み解いて火を手に入れ、食材を調理する。

生物の教材的側面

「陽が透き通って、綺麗だねえ」──バイオームと植物群系

しんりんちほーの森に入ったとき、かばんちゃんが言ったセリフだ。このセリフ、森が夏緑樹林であることを示すものではないかと思う。
『見つめる生物 ファーブルEYE』 p.189
画像左上。「夏緑樹は葉が薄いので,太陽の光で葉が透けて見える」。
動物の紹介に比べるとあまり注目されていない気がするのだが、けものフレンズが紹介しているのは動物だけではない。バイオーム(生物群系)の紹介をしている。バイオームとは一定地域に生活する動物や植物個体群の全てを指す。第1話ではサーバルちゃんがサバンナガイドをしてくれるが、シマウマやトムソンガゼルといった動物だけでなく、「サバンナにはところどころに木があるんだよ」といって、植生についても紹介してくれているのだ。第2話,第4話,第5話ではラッキービーストが熱帯雨林や砂漠、針葉樹林について説明してくれている。また、熱帯雨林ではかばんちゃんは「なんだか鬱蒼としてきたねえ」とさり気なく森の様子について言語化していた。
というわけで、やはり7話の「陽が透き通って、綺麗だねえ」というセリフも夏緑樹林という植物群系のさり気ない解説なのではないかと思うのだ。


迷路とその先にある食事──迷路実験

ゴールに食事(餌)がある迷路。動物の学習能力や記憶力を測定するための迷路実験である。とはいえ、食事という報酬は博士たちのものであり、かばんちゃん自身の報酬は自らに関する知識であるが。どちらにせよ、ゴールに報酬があり、報酬を得るために試行錯誤しながらゴールを目指すのは迷路実験的である。

火の使用と料理──火を使う唯一の動物、ヒト

ヒトは火を使い調理を行う唯一の動物である。火を怖がらないかばんちゃんと、怖がるサーバルちゃんたち。これについてはここで詳しく説明することもないと思うので、とりあえず初期のヒト属による火の利用 - Wikipediaあたりをどうぞ。
あとは、博士によるヒトの能力の説明も生物の教材的ですね。

神話的側面

「火はおいそれと渡せないのです」──火の獲得と出し惜しみするフクロウ

博士たちは火を手に入れてみせろとかばんちゃんを煽る。多くの人がプロメテウスの神話を思い出したようだ。この「火はおいそれと渡せないのです」というセリフや、「そうです、そこで火です!」「手に入れてみるのです」というセリフから、火の獲得の神話を意識しているのは明白であるように思う。
一方、火の獲得にフクロウが関わる神話も存在している。火の獲得の神話にはいくつかパターンがあり、鳥や虫や獣によって火が獲得されるタイプのものもある。フランスにはキクイタダキという鳥が神様から火を貰ってきて、人にもたらしたという神話がある。キクイタダキが持ち帰る途中、火が羽根に燃え移ってしまった。「それでもこの鳥は、地上まで火を運んできて、人びとはその火を手に入れた。だがそのときには、羽がすっかり焼けてしまって、一本も残っていなかった(『世界神話辞典』p.137)」。そこで鳥たちが集まってきてキクイタダキに羽を分け与えて羽衣を作り着せてやるのだが、フクロウだけは羽根を出し惜しんで与えなかったという。だからフクロウは他の鳥たちから目の敵にされており、夜にしか姿をみせないのだ、というオチで終わる。
出し惜しみするフクロウ。まさに今回のコノハ博士とミミちゃん助手である。

「合わないちほーでの暮らしは寿命を縮めるのです」──料理と死

ヒトは絶滅した、つまり、死んだ。フレンズにも寿命はある。「火と文化の起源を、死と性の起源と結びつけて物語ることも、世界中の多くの火の起源神話に共通して見られる(『世界神話辞典』p.132)」。
プロメテウスの神話でも、あるいはブラジル中央部のカヤポ=ゴロティレ族やアピナイェ族の神話(こちらにはジャガーが出てくる)などでも、火と調理が同時に登場し、人の死の起源も語られる。面倒なのでこれも詳しくはプロメーテウス - Wikipediaとかを参照してください。すこしだけWikipediaから引用すると、
ゼウスが人間と神を区別しようと考えた際、彼はその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。プロメーテウスは大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を食べられない皮で包み、もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しそうに見せた。そして彼はゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。プロメーテウスはゼウスが美味しそうに見える脂身に巻かれた骨を選び、人間の取り分が美味しくて栄養のある肉や内臓になるように計画していた。ゼウスは騙されて脂身に包まれた骨を選んでしまい、怒って人類から火を取り上げた。この時から人間は、肉や内臓のように死ねばすぐに腐ってなくなってしまう運命を持つようになった。
そう、「美味しいものを食べてこその、人生なのです!」。しかし、美味しいものを食べられる代わりにヒトは寿命が有限になったのである。

あとはまあ、図書館がリンゴなのも知恵の実的なので神話ですね。でも知恵の実を手に入れたって解釈すると次に来るストーリーが楽園追放になってしまうのであんまり考えたくないですねー。

その他あれこれ

4話でラッキービーストが「アトラクションが始まっちゃったから、出口から迎えに来たよ」って言うんだけど、恥ずかしながらその言葉の意味が今までわかってなかった。
あれは「(地下迷宮という)アトラクションが(ラッキービーストが付いて行く前に)始まっちゃっ(て、扉が閉まって入り口から入れなくなってしまった)から、出口から迎えに来たよ」って意味なんだよね?

あとラッキービーストはただの観光ガイドじゃなくて、パーク管理者の補助も行うロボットなんだということが7話で確定した。調理場の保守をしていたと博士が語ったからだ。

というようなことを6話放映直後にツイートしたのだが、あっていたようだ。

参考文献



2017年2月8日水曜日

けものフレンズは我々を「霊長目ヒト科ヒト属ヒト」のフレンズにする

けものフレンズ、EDに廃墟が出てるとのことで気になってたのですが(廃墟好き)、ビデオパスで観れることに気づいたので観てみました。いや、まんまとハマりました。面白い。

観ててなんとなく思ったことを覚書程度に書いていきます。他の方のブログに書かれてることと似たような感想になるだろうけど、“ことふりたれど、同じこと、また今さらに言はじとにもあらず”(徒然草第19段)。

動物(=けもの)としてのヒトの強みを語っているのだというのは各所で言われている。

サーバルちゃんをはじめとした「アニマルガール」たちは、「動物のコスプレをした人間の女の子」にしか見えないのだけど、これは動物(=けもの)とヒトを同じ土俵に挙げるためのギミックとして機能している。

で、これはゲーム版の話だが、アニメ版でもコンセプトデザインとしてクレジットされている吉崎観音が


と言っている。ジャパリパークにはアニマルガールが一種一個体しかいないようだが、雄雌問わずその動物種固有の特徴を持ったまま、姿形は「人間の女の子」に標準化される。

で、スナネコちゃんとかは一人称が「僕」だった。もしかして彼女はもともとオスのスナネコだったのではないか。

ここで主人公のかばんちゃんのことなんだけど、かばんちゃんも一人称が「僕」なんですよね。

かばんちゃんは「けものとしての人間の特徴」を毎回紹介してくれているのだが、もしかしたら彼女は「霊長目ヒト科ヒト属ヒトのアニマルガール」なのではないか?

カバンを背負った探検家風の衣装、というのも、「ヒト」の特徴を衣装として表現したものではないかと思うのだ。


このように、背に持つカバンについての考察は見かけた。おそらくそのとおりだと思う。

探検家風の衣装については、ヒトが衣服や道具、火などを使用してエクメネ(生存可能域)を拡大してきたことが「ヒトという動物の特徴」として解釈されているからではなかろうか。

で、絶滅動物(野生絶滅を含む)のアニマルガールは瞳にハイライトがない(トキさんなど)のだが、かばんちゃんにはハイライトがあるので、パーク外には「動物化したヒト」が棲息しているんじゃないか? 文明が衰退し野生動物のようになってしまったので、サンドスターから「けもの」扱いをうけてジャパリパークにかばんちゃんが顕現することになったのではないだろうか。

1話2話でやたらサーバルちゃんに「食べないでください!」って言ってたのも、大型動物に狙われる被捕食者であった期間の長いヒト属のフレンズゆえだと考えることができる。

あとはトキさんとの初対面の際、歌の感想を聞かれたのに外見を褒めたこと。視覚を認識のメインとしている人類っぽさがある。

かばんちゃんが自分が何者なのかわからず放浪するのも、ヒトが「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を問い続ける存在であることを示しているのではないか? 人は考える葦である。数々の“哲学者”と呼ばれるヒトが「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」と頭を悩ませてきた。自己を見失い、思惟を巡らせるのもヒトの特徴なのだ。

2017年1月22日日曜日

「ハピネスチャージプリキュア!」は真に「普通の女の子」の物語である

プリキュアシリーズは、「普通の女の子」が伝説の戦士になる、というフォーマットを持っているが、最も普通の女の子といえるのは「ハピネスチャージプリキュア!」の主人公たちではないか、という話。あと、「ハピチャ世界は不安定で、登場人物も他のシリーズの人々ほど安定していない」と考えることによってハピチャを観てて疑問に思ってた部分が融解したので、それについても。

前の記事で言ったが、ハピチャの世界はかつて一度も安定したことがなく、不安定である。当然「神」すらも不安定で、いわんや人間をや。

愛乃めぐみは、他人の気持ちを慮れないまま人助けをする。めぐみにとって人助けは自分の存在意義であり、つまりは「自分のため」に人助けをする。相田マナも人助けをしまくるが、マナは相手の意向を汲むことに長けていたので、めぐみよりスペックが高い。というか、現実的にいえば、めぐみのレベルが「普通」だと思う。

白雪ひめは、自分の犯した過ちを認識しつつも、全ての責任を負うほどの勇気はない。また、家柄からくるプライドも相まって、ワガママである。その難点が多い性格は、最終的には緩和されるものの、変わるには時間がかかった。性格が一瞬で変わる人間は現実にはそういない。ひめの性格の改善が非常にゆっくりなのも、「普通」の人間だからだ。

さて、こっから先は疑問点とともに語る。

疑問1.いきなり100日経ったが、ひめの性格や態度などが何も変わっていない
人間は100日程度ですぐに変われるほどかんたんではありません。三つ子の魂百まで、性格や態度を変えるのには時間がかかります。

疑問2.ゆうこがプリキュアになったことを隠していた理由が「恥ずかしかったから」というのが納得行かない
あの世界ではプリキュアは世界的にTV中継される派手な存在です。大森ゆうこは目立つことをあまり好まず、また、プリキュアの力よりもごはんの力の方を信用していた節があります。彼女は弁当屋の娘であることを誇りに思うような普通の女の子なので、派手なプリキュアになったことを隠しておきたいほど「恥ずかしい」ことだと思ってもおかしくありません。

疑問3.神がクズ
ハピチャの世界は一度も安定したことがなく、全体的にレベルが低いのです。神もわりと低レベルで、ちょっと特殊な能力を持った「普通の男」でしかないのです。だから恋愛のもつれや兄弟喧嘩に人間を巻き込むし、人間に言い渡したルールですらそんなに意味が無いのです。「プリキュア」という超能力を「普通の女の子」が持っているなら、「神」の力を「普通の男」が持っていてもおかしくありません。

疑問4.ずっと「姉の仇をとり、姉を取り戻す」ことを目的に動いていたはずのいおなが、意外とかんたんにプリカードに願う願いを変えてしまった
多くの人間にとっては、どれだけ強い願いであっても常に維持し続けるのは難しいのです。ずっと自己中心的なクズだと思ってた奴が、目の前でまともで利他的な行動をとったら触発されてしまうことだってあるのです。

疑問5.最終決戦に一般人が出てこない
前回の記事で言ったとおり、ハピネスチャージプリキュアは「創世記」です。というか、日本神話の「国産み」あたりといったほうがいいかもしれません。「神々とその眷属が世界を安定させる」までの話なので、最終決戦には神々とプリキュアしか出てこられないのです。

とまあ、ハピネスチャージは「普通の人間が、不完全な世界で、自己矛盾を抱えたまま、不安定な敵と戦い、安定を手に入れる」という物語なわけです。不安定でいつ滅ぶともわからないような世界を永遠に安定させるための存在として、「フォーエバーラブリー」が生まれるわけですね。

あと、突き放した現実感があるのも評価できる。
「良かれと思ってやったことでも裏切られる」
「人間はそう簡単に成長できない」
「たいそうな地位にあるやつでも根は人間、感情に流されることもある」
「最善の選択を常に取れるわけじゃない」
「常に一貫性のある行動を取れる人間なんかいない」
とか、そんな感じの。

「"普通の人"というのは、善にも悪にも揺れ動く一貫性の無いものである」として描こうとしたのだ、と評価してもいいのかもしれない。「敵だってプリキュアだって等しく"普通の人"だ、善であり悪にもなりうるのだ」という冷めたスタンスを貫いたのはけっこう評価できる。少なくともスイートのラストよりは断然良い、と個人的には感じる。
めぐみも最後の最後で多少は他人の感情を慮れるようになったっぽいし、悪くないエンディングだった。

通常フォームで飛べたり、(主にキュアラブリーが)即席で適当に強技を撃てたりと、プリキュアの能力が他作品のプリキュアより強力だったりするのも、それを使うものの精神が弱いことを強調する意図があるのかもしれないね。

2017年1月18日水曜日

弥生時代で読み解く「ハピネスチャージプリキュア!」

初代からプリキュアは結構好きで、特にフレッシュ以降はしっかりほぼ全話ちゃんと見るようになった。どのシリーズもそれぞれの魅力があって好きなのだが、「ハピネスチャージプリキュア!」だけはどうしても好きになれないまま最終回を迎えた。直後のプリンセスプリキュアが非常に良い作品だったのではしゃぎ、今期の魔法つかいプリキュアはみらリコが夫婦ではーちゃんが娘で、キュアモフルンは映画を2回観に行く程度に好きで、つまり最高だ。とまあ、そんなこんなでハピネスチャージの個人的評価は相対的にも下がる一方だったのだけど、最近ふとした思考の転換でハピチャの評価が爆上がりしたので、備忘録も兼ねてこの記事を書きます。

これからの話を読んでいただくにあたって、みなさんにはまず弥生時代、邪馬台国のエピソードを思い出していただきたい。

といっても、そんなに詳しく思い出す必要はないのだけど。とりあえず、

  1. 倭国はもともと男王が治めていたが、争いが絶えなかった。
  2. そこで女王卑弥呼を立てると、ようやく混乱が収まった。
  3. 卑弥呼の死後、男王が後を継いだが、国は混乱した。
  4. 再び女王臺與を立てると、国は安定した。

という流れを頭において欲しい。この弥生時代のエピソードから読み取れることは、「女王が統治すれば安定し、男王が統治すると混乱する」という原則だ。

普通のプリキュアは、弥生時代の倭国でいうと「3.卑弥呼の死後、男王が後を継いだが、国は混乱した」のところから話が始まる。

女王が力を失い、男王が勢力を増し、世界に混乱が訪れようとする。
幾つか例外はあるものの、これがほぼ全てのプリキュアのストーリーの出発点だ。
初代・MHならクイーンはプリズムストーンを失っていたり、分裂してしまったりしてるし、敵はジャアクキング、男王だ。
SSでは女王フィーリアは泉を失っており、敵の首領はアクダイカーン(ゴーヤーン)で、男王である。
5シリーズは申し訳ないが観ていないのでよく知らないが、少なくともGoGoの方はそんな感じっぽい?
フレッシュに女王は出てこない気がするが、敵の首領メビウスは(一応)男王だ。ハトキャの世界の支えは「こころの大樹」だが、これは妖精を産むし、女性的だ。敵はサバークもデューンも男である。スイートも女王アフロディテがプリキュア陣営のトップだし、スマイルのロイヤルクイーンは死んでたし、ドキドキもトランプ王国の支えは王女マリー・アンジュだった。

つまり、ハピネスチャージより前のプリキュアでは、ほとんどが「安定を象徴する女王が力を失い、混乱を象徴する男王が勢力を増す」という構図で始まるのだ。

単純に言い切ってしまえば、プリキュアシリーズには
  • 女王=安定・秩序
  • 男王=不安定・混乱
という原則が存在する。

ここでハピチャの世界を見ると、その世界には「そもそも女王がいない」ことが分かる。
地球の神は「ブルー」という男性であり、これまでずっと地球にあった。敵の首領はクイーン・ミラージュという女王だが、傀儡にすぎないことが初期から示唆されていた。で、真の敵は「レッド」であり、男性であった。
つまりあの世界は、「女王が立ったことがない世界」なのだ。
これはこれまでのプリキュアの世界の中ではかなり特異である。プリキュアシリーズにおいて女王は安定と同義なので、ハピネスチャージの世界は「一度も安定したことがない混沌の世界」なのだ。弥生時代でいえば、まだ「1.倭国はもともと男王が治めていたが、争いが絶えなかった」の状態なのである。

そう、今までのプリキュアは「失われつつある安定を取り戻す」物語であったのだが、ハピネスチャージだけは明らかに「混沌の世界で安定を作り出す」物語なのだ。
だからこそ初期状態ではすべてのものが不安定で、神々ですらしょうもない男だし、プリキュアになった少女だって「他人の気持ちを慮れないまま人助けをする少女」であったり、「自分の犯した過ちを認識しつつも、全ての責任を被るほどの勇気はない少女」だったりするのだ。

ハピネスチャージの物語は、これまでのプリキュアシリーズにおいてすでに確立されていた「安定」の、その確立の過程を描いた物語であり、プリキュア的「創世記」なのだ。プリキュアたちは女王候補だ。

だからこそ世界に安定がもたらされる最終決戦においては神々とその眷属であるプリキュアたちしか出てこない。
不安定を象徴する男王たちは惑星レッドへと去った。男王しかいなかった惑星レッドは滅びていたが、再建にはブルーとともにキュアミラージュが関わるため、キュアミラージュが惑星レッドにおける「女王」として君臨すれば安定するはずだ。
地球には男王が不在となったが、おそらくキュアプリンセスが地球における女王になるのだろう。白雪ひめの本名は「ヒメルダ・ウインドウ・キュアクイーン・オブ・ザ・ブルースカイ」であり、「クイーン」を含む。

プリキュア世界における創世記を描いた「ハピネスチャージプリキュア!」は十周年記念作品としてふさわしかったと、放送終了から2年がたとうとしている今になって思うようになった。


それとまあ、わりとどうでもいいことなんだけど、ハピチャが弥生時代で読み解けるっていうのは上記以外にも理由があって、弥生時代の日本語では「は行がぱ行の発音だった」らしいWikipediaより)っていのがある。つまり「ひかりがおか」という地名を弥生時代風に発音しようとすると「ぴかりがおか」になるのだ……。
あとは巫女が重要人物であることぐらいですかね。